2016年03月31日
あとがきにかえて
こんにちは,ブログ管理者ひらです。
いよいよ,この日を迎えました。
15日に久慈っ子が卒業してから約2週間。
小学生2人の修了式,
職員全員の辞任式と
とどこおりなく終わり,
ひとり,また一人と新天地に旅立ち,
そして,今日,久慈校がいっときの休みに入る前の最後の日
このブログを「学級・学校ブログ」として更新する最後の日となりました。
思い起こせば,昨年の4月15日,
たった4行の短い記事から始まったこのブログ。
↓そのときの記事はこちら↓
今では40000pvを超え,
たくさんの方々に見ていただけるブログになりました。
これまで久慈っ子たちを応援してくださった皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
そもそもこのブログを始めたのにはいくつかの目的がありました。
久慈っ子の表現意欲を高める場とすること。
久慈っ子の表現力を鍛え,表現する自己肯定感を高める場とすること。
久慈っ子の情報リテラシーの力を高める場とすること。
↓くわしくはこちら↓
このブログをとおして,
久慈っ子3人組は自分たちが発信したものが
世に受け入れてもらえるという喜びを知りました。
表現・発信するためには
「わかりやすさ」が大切で
ひとりよがりな文になっていないか
気を付けることの大切さを学びました。
そして何より,記事を書くにあたって
この記事の向こう側にたくさんの見てくれている方がいること,
情報を発信するときにはそのたくさんの方々を
ちゃんとイメージすることが大切だということを学びました。
だから管理者として,
「使わせない指導から正しく使わせる指導へ」という
この試みは「成功」だった思っています。
これからも久慈っ子たちが
表現することを恐れずに,
前向きに,正しく,堂々と情報発信していくことを期待しています。
最後まで,このブログを応援してくださり
本当にありがとうございました。
いよいよ,この日を迎えました。
15日に久慈っ子が卒業してから約2週間。
小学生2人の修了式,
職員全員の辞任式と
とどこおりなく終わり,
ひとり,また一人と新天地に旅立ち,
そして,今日,久慈校がいっときの休みに入る前の最後の日
このブログを「学級・学校ブログ」として更新する最後の日となりました。
思い起こせば,昨年の4月15日,
たった4行の短い記事から始まったこのブログ。
↓そのときの記事はこちら↓
2015/04/15
今では40000pvを超え,
たくさんの方々に見ていただけるブログになりました。
これまで久慈っ子たちを応援してくださった皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
そもそもこのブログを始めたのにはいくつかの目的がありました。
久慈っ子の表現意欲を高める場とすること。
久慈っ子の表現力を鍛え,表現する自己肯定感を高める場とすること。
久慈っ子の情報リテラシーの力を高める場とすること。
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2015/05/22
このブログをとおして,
久慈っ子3人組は自分たちが発信したものが
世に受け入れてもらえるという喜びを知りました。
表現・発信するためには
「わかりやすさ」が大切で
ひとりよがりな文になっていないか
気を付けることの大切さを学びました。
そして何より,記事を書くにあたって
この記事の向こう側にたくさんの見てくれている方がいること,
情報を発信するときにはそのたくさんの方々を
ちゃんとイメージすることが大切だということを学びました。
だから管理者として,
「使わせない指導から正しく使わせる指導へ」という
この試みは「成功」だった思っています。
これからも久慈っ子たちが
表現することを恐れずに,
前向きに,正しく,堂々と情報発信していくことを期待しています。
最後まで,このブログを応援してくださり
本当にありがとうございました。
2016年03月30日
感謝!「お別れ卓球大会」
こんにちは,ブログ管理者ひらです。
このブログもあと残り2日となりました。
本当に寂しいですが,
卒業生した久慈っ子3人組も
次のステップに進む準備が
着々と進んでいるようなので
僕も前を向いていきたいと思います。
さて,そんな中,
27日の日曜日,久慈校の体育館が人であふれかえるという
奇跡のようなイベントがありました。
久慈校のOBである平瀬さんの呼びかけに
これまでライバルとして切磋琢磨してきた
奄美市内中学校の卓球部の皆さんや
瀬戸内町の卓球連盟の皆さん
久慈校の卒業生などなど
たくさんの方々が応えてくださり,
「久慈小中学校お別れ卓球大会」が開催されました。
主催者も驚く大盛況ぶりに
感動・感謝の気持ちでいっぱいになりました。
コウヘイやレイカも
かつての同級生らとチームを組み,
本当に楽しそうに大会に参加していました。
とても和やかな雰囲気で
皆様がこんなにも久慈校卓球部を愛してくださったのかと
あらためて感激いたしました。
遠路はるばる久慈に来ていただき,
参加してくださった皆様,
本当にありがとうございました。
いつもたった4人で使っていた体育館が
最後の最後で32名の選手とそれを応援するたくさんの人々でいっぱいになり
大変思い出に残る大会になりました。
このブログもあと残り2日となりました。
本当に寂しいですが,
卒業生した久慈っ子3人組も
次のステップに進む準備が
着々と進んでいるようなので
僕も前を向いていきたいと思います。
さて,そんな中,
27日の日曜日,久慈校の体育館が人であふれかえるという
奇跡のようなイベントがありました。
久慈校のOBである平瀬さんの呼びかけに
これまでライバルとして切磋琢磨してきた
奄美市内中学校の卓球部の皆さんや
瀬戸内町の卓球連盟の皆さん
久慈校の卒業生などなど
たくさんの方々が応えてくださり,
「久慈小中学校お別れ卓球大会」が開催されました。
主催者も驚く大盛況ぶりに
感動・感謝の気持ちでいっぱいになりました。
コウヘイやレイカも
かつての同級生らとチームを組み,
本当に楽しそうに大会に参加していました。
とても和やかな雰囲気で
皆様がこんなにも久慈校卓球部を愛してくださったのかと
あらためて感激いたしました。
遠路はるばる久慈に来ていただき,
参加してくださった皆様,
本当にありがとうございました。
いつもたった4人で使っていた体育館が
最後の最後で32名の選手とそれを応援するたくさんの人々でいっぱいになり
大変思い出に残る大会になりました。
2016年03月29日
校長の遊び場、その2
校舎のはずれにぽつんと建つ離れ
それが陶芸室です。
小さな電気窯があります。
小中学生の陶芸体験をやったり、その前の釉薬調合や試し焼きなどでよく利用していました。
古い窯なのでよく断線しましたが教育委員会の担当が本校OBの方で
無理なお願いもよく聞いてもらいました。
実は私、教頭時代に薩摩焼の里、美山に勤務して現在の15代、沈壽官さんとも親交があり(当時、沈壽官さんも3人の子どもを、美山小に通わせていたので)焼き物にはまったのです。
途中、中断はしたものの、退職後はぜひ、陶芸をしたいと考えていたので新居にも工房を構えました。
でも、今、迷っていることがあります。
工房に窯の名前の看板を付けたいのですが
候補が2つあります。
それは、
「赤木名焼」にするか「赤木名窯」にするかです。
有田焼、常滑焼、信楽焼、伊万里焼
などと、「焼き」の字を使えばビッグネームみたいでかっこいいのですが
アタが「焼き物」のお店を始めたと聞くと、悪友たちが
「ビール好きのあいつが炉端焼きのお店でも始めたのか?」
と思われるんじゃないかということです。
やっぱり、
「赤木名窯」
にしようかな。
2016年03月29日
校長の遊び場
いやいやあ、なかなか引っ越しって上手になりませんねえ。
2~3年に1度のペースでもう、10数回引っ越しを経験してきましたが
あと少しの状態になってからが進まないのです。
また、片づけをサボってPCの前にいます。
今日は、
教職最後の久慈校で
私が土日のほとんどを過ごした遊び場を紹介します。
学校横の農園です。
でも今は
なかなか手を入れる時間がなく、ほったらかしです。
大根も春菊もチンゲンサイも小松菜もフダンソウも収穫されることなく
花を咲かせています。
今も成長が旺盛なのが、これ、スナップエンドウです。
1日おきに収穫しても、どんどん、どんどん実をふくらませます。
職員がいるころはしょっちゅう、持たせて帰らせ感謝されましたが
今はもらってくれる人もいません。
スナップエンドウは私も好きでちょっとゆでてマヨネーズで食べるのが大好きです。
好物のモルツに合うのです。
でも、うちの嫁さん
これを持って帰ると、「まあ、嬉しい」
と言って、これ幸いに、毎晩、私のビールのつまみに出すのです。
私は、「わあ、また俺の好きなスナップエンドウだ。ありがとう!」
と口では言うものの
心の中で
「毎晩、毎晩、罰ゲームか!」
とつぶやいています。( (>_<) )
2回目にまいたニンジンもだいぶいいぐらいの大きさに育ってきました。
が、
これも収穫されることなく
花を咲かせそうです。
お近くの方
ご自由に、掘って、持って行ってください。
そうしないと
私の嫁さんが
また、私のために………
2~3年に1度のペースでもう、10数回引っ越しを経験してきましたが
あと少しの状態になってからが進まないのです。
また、片づけをサボってPCの前にいます。
今日は、
教職最後の久慈校で
私が土日のほとんどを過ごした遊び場を紹介します。
学校横の農園です。
でも今は
なかなか手を入れる時間がなく、ほったらかしです。
大根も春菊もチンゲンサイも小松菜もフダンソウも収穫されることなく
花を咲かせています。
今も成長が旺盛なのが、これ、スナップエンドウです。
1日おきに収穫しても、どんどん、どんどん実をふくらませます。
職員がいるころはしょっちゅう、持たせて帰らせ感謝されましたが
今はもらってくれる人もいません。
スナップエンドウは私も好きでちょっとゆでてマヨネーズで食べるのが大好きです。
好物のモルツに合うのです。
でも、うちの嫁さん
これを持って帰ると、「まあ、嬉しい」
と言って、これ幸いに、毎晩、私のビールのつまみに出すのです。
私は、「わあ、また俺の好きなスナップエンドウだ。ありがとう!」
と口では言うものの
心の中で
「毎晩、毎晩、罰ゲームか!」
とつぶやいています。( (>_<) )
2回目にまいたニンジンもだいぶいいぐらいの大きさに育ってきました。
が、
これも収穫されることなく
花を咲かせそうです。
お近くの方
ご自由に、掘って、持って行ってください。
そうしないと
私の嫁さんが
また、私のために………
2016年03月28日
正門の表情
ついこの前の久慈校の正門付近の花です。
3月28日(月)のお昼の正門の表情が下の写真です。
4月から花の水かけをしてくれる人がいなくなるため
これらの花々と校内の観葉植物をすべて希望者に差し上げました。
まず、近隣の学校に声をかけて
お隣の
篠川小中学校にもらっていただきました。
その先にある油井小中学校からも取りに来ていただきました。
そして残りは久慈の老人クラブの方々が運んでくださり、公園や公民館、バス停、郵便局を飾っています。
たくさんあった花が少しずつ減っていくのでなく
1日でドバッとなくなるのも爽快な気もするし、一気に寂しさがやってきます。
朝夕、久慈校の花を眺めてくださったドライバーの方々もきっと
びっくりしていることでしょう。
明日は、空港と港から転勤する職員が鹿児島に帰ります。
私は一人、学校待機です。
卒業式が終わっても
修了式が終わっても
辞任式が終わっても
まだ、人が校舎内に残っていれば
休校がまだピンとこないのですが
さすがに人の声が校舎から消えれば
寂しいです。
スポーツ刈りの60男の可愛くない涙をまた、ご披露しようかな(苦笑)
2016年03月28日
若葉の季節、久慈編
昨日の「ニシアムロ行きます」で若葉の季節がアップされていましたね。
http://nisiamuro.amamin.jp/e580942.html
このように奄美は今まさに山々が若葉の季節を迎えています。
県本土のように落葉樹があるのかないのか山そのものが1年中、緑色をしています。
それでもこの時期の緑色は鮮やかな新緑で
ニシアムロレイさんが
「抹茶の粉をふりかけたような…」
という表現をされていましたね。
自分でも「比喩がイマイチ」
と謙遜されていましたが、
……
たしかに、イマイチです。(笑)
私だったら、もっとうまい表現をします。
たとえば、
お好み焼きに使う
「青のりの粉をふりかけたような…」
というように高尚な比喩をもちいるでしょう。
え、「お前の方がイマイチだ。」
ですって?
オー、マイ、ガッ!
失礼しました。
新緑の山を眺めながら
久慈校からも一人、二人、……と職員が新任地に旅立っていきます。
2016年03月27日
ありがとう古仁屋バレーの仲間
背番号1,キャプテンマークがヒヨリ、小さいエースでした(笑)
久慈っ子のヒヨリが友だちもいない久慈校でがんばってこられた大きな力が
バレー仲間の存在
最初は久慈から古仁屋までくねくね道を片道40分もかけて週3回通うのは大変でした。
車に酔うこともしばしば、7時までの練習を終え家に帰り着くのは8時
就寝時間は9時と決めていたので帰宅してからの1時間でお風呂に入り、晩ご飯を食べて宿題をする。
これは結構大変でした。
帰りの車の中で寝てしまうと、食欲より、宿題より
眠りの誘惑に負けて
翌日、早く起きて宿題をすることもありました。
でも、それでもバレーの練習の日は朝から楽しみで
体育館では練習の前後や休憩時間も友だちとたくさん、おしゃべりしました。
練習のない休日に遊びに行ったり、友だちのお父さん、お母さんもしばしば
「ヒヨリ、今日は泊まっていけ。」
と言ってくださいました。
今日は、お別れ親子バレー大会、そして夜はお別れ会
ずっと前からこの日を楽しみにしていたけど
また、今夜いっぱいいっぱい
涙を流すのでしょう
おっと、いけね
ブログ書きながら
父ちゃんの目にも涙がたまってしまったわい
スポーツ刈りの60男の涙…似合わねえええ~
でも、古仁屋小、阿木名小、油井小のチームメイトのみんな、ありがとう
Posted by kujikko at
08:31
│Comments(0)
2016年03月27日
早くも草が
来校される方々があんなにほめてくださった久慈校自慢の運動場ですが
まだ4月にもならないのに
早くも雑草が生えてきました。
毎日のように車やバイク、人力でトラック整備をしてきたのに
休校となると
こんなにも早く草が生えてくるのです。
この後、一雨(ひとあめ)、二雨(ふたあめ)……と続き、
春の息吹のエネルギーでみるみるうちにトラックが緑色に変わるのでしょう。
そして内地より早い、梅雨入りとなり
草の勢いはさらに増します。
そのころ私は退職後の自宅裏の畑の野菜の成長をながめ
もっと大きくなれ、もっと大きくなれと
植物の生長を願っているのでしょう。
皮肉なもんですね。(苦笑)
2016年03月26日
4月が待ち遠しい
ヒヨリの作文
久慈小はわたしと妹の二人しかいません。 友だちのいない学校で一番いやだったのは学
校が終わって一人で家に帰ることでした。そして家に帰っても近所には遊ぶともだちはいま
せん。体育の時間も先生と二人だけで、多くの人数でやる試合はできません。
でも、四月からはようち園の時の友だちがたくさんいる学校に転校します。友だちも楽しみ
にしていて、「早くおいでよ。」と電話をくれます。
新しい学校には男の子もいるのでサッカーや野球でも強いボールをキャッチする練習ができ
るので楽しみです。
一番楽しみなのは持久走大会です。わたしはかのやにいるときは、24年ぶりの新記録を出す
ぐらい走るのには自信があるけど久慈小では一人で走りました。今度の学校では競走する相手
がいるので、もっといい記録が出せそうです。
じゅ業中もいつも自分だけが先生に見られているわけではないし、友だちの発表も聞けるから
やりやすいと思います。バレーの練習も今は古仁屋まで通っているけど、これからは自分の学校で
練習ができます。
今は別のチームでライバルだけど同じチームに入ってもライバル同士の気持ちは忘れずに練習を
がんばりたいです。
四月が待ち遠しいです。
2016年03月25日
久慈小最後の修了生
お父ちゃんから修了証書をもらう、4年生のヒヨリと1年生のヒナタ
こんな学校も珍しい
お父さんが校長、小学生はその娘の二人だけ
学校存続とは何なのか、考えてしまいます。
まあ、それはさておき、
友達もいない教室、学校の行き帰りもいつも姉妹二人だけ
先生と1対1のサッカーの授業
一人だけの音楽の授業
いろんな友達の考えを聞くこともできない道徳の時間
毎日が日直の朝の会、帰りの会
こんな学校生活を乗り越えられたのも
週3回のバレー練習で古仁屋小に通い、仲良しのチームメイトとたくさん、おしゃべりしたから
お父さんが言うのもなんだけど
二人ともよく頑張りました。
校長先生のお話
「え~、小学生の二人とも久慈小でよく頑張りました。赤木名小に行っても、休み時間のたびに校長室に行って、校長先生のお膝に乗ってあまえたらいけませんよ。もう、お父さんは校長室にはいませんからね。ただ、上の方に並んでいるこれまでの校長先生たちの写真の中に、ひょっとしたら大島紬姿の変な校長先生がいるかもしれないからびっくりしないでね。」
でも、
歴代校長の一人が保護者として転入してくるなんて
校長先生も
担任の先生も
びっくりするかもね
そして
きっと、やりにくいだろうなあ((*^_^*)
人ごとだから、いいけど
(いいんかい!)