2016年03月14日
いよいよ明日は
いよいよ、あしたは久慈っ子3人組が母校を巣立つ日
会場設営も終わりました。
老人クラブ会長のヤマトのおばあちゃんが朝から集落放送で卒業式の案内をしてくださり、多くの方の出席を呼びかけています。
卒業生の座るたった3脚の椅子です。
ごらんください。
このたった3脚を見て、「少ないな、寂しそうだな」
ととらえる人も多いかもしれません。
しかし、初めて極小規模校に勤務した私は、最初は「寂しい人数だな。」と思っていましたが、彼らと過ごすうちにたった3脚の椅子が大規模校に並ぶ数多くの椅子より遙かに目に見えないものでつながっているのが見えるような気がするのです。
「絆(きずな)」という言葉はあまり好きではありません。
世間にあふれているからです。
Tシャツや旗やポスターなど、あちこちで見かけ「絆」の氾濫状態のようです。
かっこいい流行(はやり)言葉のイメージがあるからです。
この3脚の椅子は「絆」よりも泥臭く、かっこよくもなく、それでいて親兄弟以上に深い、美しい、強い力でつながっているのです。
大人になったこの3人がどんな笑顔でお酒を飲んで語り、笑うのか、今から楽しみです。
明日は涙が流れてもいい。
答辞などで言葉につまってもいい。そんなハプニングは大歓迎です。
では、また明日。
ついでに、鹿児島県で平成28年度の休校予定(閉校、統廃合は除く)は久慈校だけだそうです。
明日は新聞社だけでなく、放送局もNHKと民法4社が取材予定です。
久慈校の最後の晴れ姿です。
会場設営も終わりました。
老人クラブ会長のヤマトのおばあちゃんが朝から集落放送で卒業式の案内をしてくださり、多くの方の出席を呼びかけています。
卒業生の座るたった3脚の椅子です。
ごらんください。
このたった3脚を見て、「少ないな、寂しそうだな」
ととらえる人も多いかもしれません。
しかし、初めて極小規模校に勤務した私は、最初は「寂しい人数だな。」と思っていましたが、彼らと過ごすうちにたった3脚の椅子が大規模校に並ぶ数多くの椅子より遙かに目に見えないものでつながっているのが見えるような気がするのです。
「絆(きずな)」という言葉はあまり好きではありません。
世間にあふれているからです。
Tシャツや旗やポスターなど、あちこちで見かけ「絆」の氾濫状態のようです。
かっこいい流行(はやり)言葉のイメージがあるからです。
この3脚の椅子は「絆」よりも泥臭く、かっこよくもなく、それでいて親兄弟以上に深い、美しい、強い力でつながっているのです。
大人になったこの3人がどんな笑顔でお酒を飲んで語り、笑うのか、今から楽しみです。
明日は涙が流れてもいい。
答辞などで言葉につまってもいい。そんなハプニングは大歓迎です。
では、また明日。
ついでに、鹿児島県で平成28年度の休校予定(閉校、統廃合は除く)は久慈校だけだそうです。
明日は新聞社だけでなく、放送局もNHKと民法4社が取材予定です。
久慈校の最後の晴れ姿です。
Posted by kujikko at 15:19│Comments(0)
│久慈の行事
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。